月と夢の冒険

You-may dream it

負けるが勝ち

最近はこの言葉を聞かなくなったし、意味が分からない、もしくは皮肉や冗談のように受け取る人が多いのではないだろうか。

つい数年前、日本の民主党政権で蓮舫行政刷新担当大臣がスーパーコンピュータの開発費要削減の際に発した一言「2位じゃ駄目なんですか」というものがあり、それと混同されそうだが、それとは全く違う考えだ。手を抜く、というものでもない。

例えば最下位というのは別の尺度からすると1位であるという見方である。

 

国を作り替えないと日本に外国人は来ない:日経ビジネスオンライン 

端的に言えば日本はアメリカになれ、というのが中村氏のまとめとなるだろう。そして過去の日本には、そういう人が他の国にもまけないくらい多かっただろう。

日本に多く見られる民間鉄道と沿線不動産開発は元来アメリカ・パシフィック電鉄の手法だが、明治時代はそれを真似ることに一生懸命だった。車、飛行機、洋服、食べ物。みんながアメリカになろうとしていた。そして今、良い部分も悪い部分も日本の一部として残っている。

この中村氏の言う日本の「がんじがらめ」こそが、まさに過去の「沈没」が蓄積していった悪い部分では無いだろうかと思う。そしてそもそも、こういった議論というか氏が混乱し私が気に留めたのもそれが理由だろうと思う。

黒船によって開国させたアメリカが、初代駐日公使として送り込んだハリスの日記にはこうあったという。「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。」

JOG(680) 江戸時代の庶民は幸福だった

中村氏の意見は部分的に欧米化を重ねて行った今の姿だからこその指摘だろう。和を重んじ和服を着て家族のもと暮らす姿を前に「アメリカになれ」とは言いづらいのが人間だろう。

日本の強みの一つには「協調性」というものがある。これは「個性」からくるもので、同じものを理想とするアメリカンドリームなどの欧米的価値観とは異なる。

アニメや漫画の同人・二次創作の土壌なんかも、いまでこそ海外でも増えてきている。プログラミング等はやらないので詳しくは知らないが、アプリ開発の「フォーク」や「API」なんていうのも広い意味では似ているかもしれない。

ただVHSやDVD・Blu-rayなど規格化を築き使い手を考慮してきた日本に対し、欧米主導の最近のビデオフォーマットの乱立によるユーザーの混乱。アップルやGoogleが携帯電話を中心に他に流れないように客の囲い込みをしたり、それらを発展途上国で支配させようとしたり、昨今のTwitterが解放していたAPI締め出しをしたりするように、やっぱりそこには大きな違いがあるだろう。

私は東京にあるデザインの専門学校に通っていて、そこで卒業制作のとき興味深い事があった。最後の制作物はテーマも自由だったのだが、10人ほどのクラスで一人として同じ分野の作品は無かった。

一人は油絵であり、一人は映画であり、一人は影絵をやり、そして立体制作物であり写真であり絵本であった。こうなると講評の際に講師の絶対的評価というのが少しだけ難しくなる。つまり、同じ発表の場で全員が油絵を発表した場合、それは甲乙が付けやすい。しかし作品形態もバラければ見る方もいろんなものが出てきて楽しくなり、評価が上がったりする。各々は無意識ではあれ、ある意味集合体としての戦略勝ちである。

いままでも失ってきた日本が再び「沈没」し、チームワークや検証における強さまで失えば、文化的な面さえ見失う事になる。彼の言う理想郷のように、日本がアメリカ的になったとして、その時アメリカはもう一歩進んでいるだろう。

中村氏はたゆまぬ努力を重ねて素敵な発見をされたようだが、それを支えてきた環境は残念ながらアメリカ単体ではなかったと思う。

 そういう言い方をして、“私たち”日本人が前向きになれるかな。違うんじゃないかなぁ。